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大津地方裁判所 昭和48年(ワ)168号 判決 1976年5月24日

原告 北川ひで

<ほか二名>

右原告ら訴訟代理人弁護士 吉原稔

同 岡豪敏

被告 田中徳産業株式会社

右代表者代表取締役 田中徳藏

被告 田中徳藏

右両名訴訟代理人弁護士 太田稔

同 鬼追明夫

同 吉田訓康

同 辛島宏

同 安木健

主文

被告らは各自、原告北川ひでに対し金二一五万二、〇〇〇円、原告北川光春、同栄子に対しそれぞれ金二五五万五、三八三円ずつをそれぞれ昭和四六年七月五日以降支払済に至るまで年五分の割合による金員を付して支払え。

原告らのその余の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを三分し、その一を原告らの、その二を被告らの各負担とする。

第一項は仮に執行することができる。

事実

第一、申立

(原告ら)

被告らは各自原告らに対しそれぞれ金五、八〇一、五三六円、およびこれらに対する昭和四六年七月五日より完済迄年五分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は被告らの負担とする。

との判決並びに仮執行の宣言。

(被告ら)

原告らの請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

≪以下事実省略≫

理由

第一、俊夫の胃潰瘍の発症・死亡とこれに対する被告田中の不法行為責任の存否。

一、原告ひでの夫であり、原告光春、栄子の父であった俊夫が、昭和四五年二月四日午前一〇時三〇分頃、その当時の勤務先である被告田中経営の八日市市東本町所在の材木店の木材置場において、同僚の沢光男の運転するトラックの荷台上にて作業中に受けた労災事故のため、同日から同年一一月一八日まで同町内の山口病院に入院、その後も引きつづき同院に通院加療中のところ、昭和四六年七月三日午後九時三〇分頃、自宅において大量の吐血をし、直ちに同病院に入院したが翌四日午前一時一五分頃死亡したこと、その間俊夫は、昭和四六年二月四日、被告田中から解雇を申し渡されたこと、右俊夫の死因は胃潰瘍による胃出血であること、以上の事実は当事者間に争いがない。

原告らは、右俊夫の死亡と、右労災事故および、その治療並びに解雇、更に原告主張の俊夫の日赤への転院を拒んだこととはそれぞれ相当因果関係が存すると主張し、被告らはこれを争うとともに、予備的に労災事故の発生およびその後の胃潰瘍の発生・増悪について過失相殺の主張をし、これが本訴の主要な争点となっているのでこれらの点を判断するため、まず左にそれらの争点判断の基礎となるべき事実を確定する。

二、事故発生から死亡までの経過事実。

(一)  ≪証拠省略≫を総合すると次の事実が認められる。

(1) 俊夫は前記事件発生のとき、沢光男とともにトラックに材木の積込作業中であって、俊夫がトラックの荷台の上に居て、沢が下から木材を渡しては積み上げていたところ、沢が俊夫の気付かないうちに運転席に戻って、次の積込場所へトラックを移動さすべく、急に発進しようとした。ために俊夫は危険を避けるべく、地上二米前後の高さの荷台上の材木の上から飛び降りて、右足かかとをまともに地面に強打し、ために右大腿骨骨頸部骨折の傷害を負い、直ちに山口病院に担ぎ込まれた。

(2) 山口病院の院長山口睦彦は、直ちに右俊夫を診断し、同人が右足の付け根の疼痛を訴え、且つ該部に腫張が認められるところから、前記傷害と診断をつけるとともに、入院して手術を受けさせる必要を認め、直ちに入院させるとともに手術は一〇日位経過してからした方が効果があるので、その間に一旦ギブス固定の処置をとった。

(3) ギブスは乳の下から足迄にはめられたが、俊夫はギブスをはめられてからは食欲不振に陥るとともに、翌々日の二月六日には上腹部から胃部に膨満感を主訴とする激しい苦痛を訴え、同日胃液吸収や灌腸が施されたが、症状は治まらず、翌二月七日には腹部の圧迫予防のため予じめギブスの前腹部のところに穴が開けてあるに拘らず、苦しいといって更にこれを引き裂いてしまった。

(4) 二月一五日前記骨折治療のための観血的整復術が行われ、引きつづきギブス固定がなされ、三月二一日やっと膝から下を切除し昼間は膝の屈伸ができる様になったが、夜間は膝下も着用、四月四日になって、ギブスの前面を外され、六月頃に背面とも完全に取り除かれた。なお二月二一日にフレームコルセットを着装している。

この間、二月一六日から流道食の配食がなされたが、俊夫はほとんど食欲がなく、五月頃までは一日三本の点滴と注射で栄養を保ち、五月頃から徐々に食事をとる様になったが、以前の健康時の食欲は容易に回復しなかった。なお健康時には俊夫は体格もよく、どちらかといえば大食家の方であった。

(5) 前記ギブスを一部軽くした後である四月一〇日ベットに坐位をとったとたんに脳貧血を起こし、四月二六日にも同様のことがあり、その後も退院まで、どちらかといえば貧血気味であった。

そのためか九月一六日まで鉄剤の投与を続け、その日に一旦止めたが、九月二三日、再手術に備え再度続行(なお診療録には「最近にオペ(再度)があるとのことで、続行」と記載されている。)している。

(6) 上記以外には入院中、山口医師は俊夫から内臓とくに胃の障害の存在を疑わしめる様な訴えを聞いておらず、またカルルテ、看護日誌等にもその記載はない。

(7) 俊夫の足の方は六月二五日頃からは松葉杖で便所に行くことができる位になり、その後次第に歩行範囲も伸びてはいたが、前記手術の術後経過そのものは思わしくなく、九月ないし一〇月に入って、癒合不全がはっきりし、骨頭壊死の虞れが認められ、再手術を施行しなければならないことがはっきりして来たので、山口医師はそのことを本人に告げたが、本人は、入院も長くなるし、せめて正月を家で過ごし度いとの意向を示したので、一日、二日を争う訳ではないのでこれを許し、一一月一八日一旦退院の措置をとった。

(8) その頃俊夫は、松葉杖又は一本杖によって一人でも歩行できる様になっていて、退院後は、妻に付き添われ乍ら一二月に四回、一月に五回、二月に四回、三月に四回、四月に五回、五月に五回と通院した。うち一度は自転車に乗ることを試みたこともあった。その間、二月一七日の通院時以来しばしば背中の痛みを訴え五月一四日には背中の痛みのため仰臥位以外では寝られないとの訴えもあったが山口医師は、外部所見やレントゲンに異常が見られないため、杖をつき乍ら荷重がかからない様な歩き方をしていたためと判断して背筋筋膜炎の診断を下している。他には右通院中不眠の訴えがあったが、特に胃潰瘍の進行を疑わしめる様な訴えはない。

右通院治療の間、山口医師は俊夫に対し前記再手術の施行を促したが、なぜか本人は余りしたがらず、一日延ばしに延ばしていた。

(9) 他方俊夫は退院前の昭和四五年九、一〇月頃、前記の様に山口医師より再手術の必要性を申し渡されたので、不安になり、被告会社の専務山口弘の薦めで京都市東山区山科所在の鈴木整形外科病院において、再手術の必要性の有無等を含めた診断をうけ、更に同病院の紹介で京都第二日赤病院へも行って診断を受けた結果、同院への転院を薦められ、その旨同行の山口弘に告げたが、山口は社長の承認が必要である等の理由から、日赤へ入院させず、山口病院へ連れ帰ったことがある。

(10) ところで、被告田中は、前記の様に俊夫が杖を用いてでも一人歩きできる様になり、昭和四五年一二月頃通院途中の俊夫と直かに立話しをした印象から、製材所における割木詰めの仕事(廃材から出来る割木を金属の輪の中に入れて結束する仕事で女子でも出来る仕事)位なら作業が可能になったものと判断し、右立話の際に、俊夫に右の様な軽作業への復職を薦めた。

しかしその後俊夫から具体的な復職の申出がなかったところ、被告田中は、その頃俊夫につき再手術の必要があって、同人の通院はそれに備えてのものであることを知らず、且つ俊夫が自転車に乗ることを試みていることも聞いたことから、俊夫において、相当に回復し、前記割木詰めの仕事位はできるに拘らず、復職する意思がないものと判断して、昭和四六年二月四日解雇の通告をした。

被告田中は、右解雇に先立って、山口病院について俊夫の病状を詳しく尋ね、再手術等治療継続の必要性の有無を確認することも、また俊夫本人について再度復職を催告して、復職しない事由を本人から聴取することもせず、全く一方的に俊夫がいわばずる休みをしているものと判断して解雇したものである。

(11) 右解雇の通告を受けて以来、俊夫は将来の生活に対する心痛から二日位は食事も摂らず放心状態となり、その後もずっと悩み続けていて、家人はしばしば俊夫の自殺を警戒しなければならないほどであった。

(12) 昭和四六年六月二七日夜俊夫は急に苦しみ出し茶碗一杯ほどの血を吐いて失神したので、近在の医師の来診を求めたところ、吐血であるから絶対安静にせよと命じられた。そのまま安静に経過し、七月三日になると少し食欲が出、粥をたくさん食べたが、同日午後九時頃、再び苦しみ出し、前回の三倍量ほどの吐血をしたため、救急車を頼んで山口病院へ担ぎ込んだ。同院における診断は胃潰瘍による胃出血であり、点滴注射等を施行したが、約三時間後の七月四日午前一時一五分死亡した。

以上の事実が認められ(る。)≪証拠判断省略≫

(二)  原告らは、前記(1)に関し俊夫は飛び降りたのではなく、転落したのであり、ために背部又は腹部を打撲し、胃に直接の衝撃が加わったと主張する。しかし、証人山口睦彦の証言によると(1)俊夫が病院へ担ぎ込まれたときの外診の結果では、背腹部を直接打撲した様な傷跡は全く見当らなかったこと、(2)同証人が俊夫を搬送車でレントゲン室へ運ぶ際「どういう訳で怪我をしたのか」と問うたところ、本人が「飛び降りた」と答えたこと(これは乙第五、第七号証にもその記載があり、それらも同証人が看護婦に右本人からの聴き取りの結果を記載させたというのであるが、この段階で同医師が殊更に想像や虚偽の記載を交えるとは到底考えられないところであって、同証人のこの点の証言は充分措信できる。)、(3)大腿骨骨頸部骨折というもの自体が、体重が一本の足にかかって、そこで無理をしたときに起こり易い骨折であること、(4)その後の徴候、例えば前記胃液吸引の際にもその液中に血液の混入を認めないなど、胃に外傷性の徴候は見当らなかったこと、(5)前記(一)の(3)認定の胃部の膨満感等の苦痛は急性胃拡張を起したためと認められるところ、前認定の様にギブス固定をして、摂食・排便を寝たきりでしなければならなくなったときや、体の他の個所に傷害が生じた場合(本件の場合は前記骨折)の生体反応として急性胃拡張が発症することは何ら不自然でなく、かえって外傷(打撲)と急性胃拡張との結びつきは事例的にはこれまで皆無であること、がそれぞれ認められ、これらによっても俊夫が故意に飛び降りたかどうかは別として、飛び降りる様にして、右足をついてこれに体重がかかり、無理がいったものであって、打撃力が胃部へ直達する様な転落の仕方であったとは到底認められないのである。

なお乙第五号証中「打撲傷」のところに丸印を付したのは、≪証拠省略≫により、誤認して記載したものと認められるから、原告らに有利な証拠として採用できない。

三、ところで、俊夫の胃潰瘍の発症とその増悪・死亡の原因、とくに原告ら指摘の各原因との関連に関しては、前掲事実を踏まえて、左の五つの鑑定意見的証拠が提出されている。それらによると、

(1)  乙第一号証(昭和四七年一一月一七日付医師中嶋重雄の労働基準監督署長宛意見書)は、大要「(イ)加療中の胃拡張症状、ショック症状、貧血が胃潰瘍によって起こったものかは、はっきりしない。死因は胃出血であるが、胃潰瘍が入院中に起こったか既存のものかは、はっきりしない。(ロ)骨折による全身ストレスや大きな手術侵襲によって既存疾病の悪化を招くことは考えられるが、手術後一年半を経過しているので、常識的には死因との間に因果関係を結びつけることは困難である。(ハ)療養中投与された薬剤が、胃潰瘍を発生、増悪させるものとは考え難く、術後一年半経過して投与薬剤も少くなった段階で、その影響を考えることは困難ではないかと思う」とし、

(2)  乙第二号証(昭和四七年一二月二〇日付滋賀労働基準局医員永井庸元の鑑定書)は、大要「胃潰瘍は骨折治療中に発生した(既往症ではない)と考えるのが自然であるが、入院中の三翼釘固定術、長期ギブス固定、術後八ヶ月頃よりの骨折癒合不全、骨頭壊死、等は胃潰瘍発生の原因とはなり難いので、自宅療養に転じて医学的管理を離れ、不摂生に陥り、更に通院中腰痛を訴えて再々鎮痛剤の投与をうけ、且つ再手術予定の精神的負担とが複雑にからみ合って潰瘍を発生し、しかも之に対する診断、治療が行われなかったため、突然大量出血を起し、最悪の事態に突入したと推定できるが、これらの原因を一々医学的に立証することは到底不可能であって、業務上とは認め難い。」とし、

ているのに対し、

(3)  甲第三号証(昭和四六年九月三〇日付医師山口睦彦の意見書)は「長期間臥床、安静ギブス固定等により食欲不振、消化器疾患にかかり易い、又骨折治療のため、薬物療法、胃炎、胃潰瘍を悪化させるおそれはある。」とし、「特に潰瘍を誘発する薬物療法は行っていない。消化管出血で死亡した結果より、今全経過を省みるに、恐らく受傷以前より胃潰瘍があったものと推定され、これが悪化したものと思われる。受傷後の急性胃拡張症状、一時的ショック状態と貧血は、骨折による随伴症状と解していたが、これは胃潰瘍のためであったかも知れない。」とし結論として、「外傷と潰瘍とは直接因果関係はない。併し、外傷及び長期治療により既存の潰瘍を悪化させたという恐れは充分考えられる。」とし、更に同医師が後日右意見書を修正補足したものとして、

(4)  甲第五号証(昭和四八年三月二九日付医師山口睦彦の意見書)は、潰瘍の発生を受傷前の既往の有無、入院中および退院後のそれぞれの発生、増悪の各場合を想定して、俊夫の治療経過に照合して検討したうえ「原則的に胃潰瘍と外傷とは無関係であるが、既存の潰瘍又は治療中発生した潰瘍の増悪、死亡に至るためには、何らか悪影響があったことは考えられ、全く無関係であるとの証明を出すことは不可能である。」とし、結論として「労災受傷並に長期療養が悪影響を及ぼしたことは充分考えられ、労災受傷がなければ、潰瘍出血による急激な死亡は考えにくい。即ち死因には或る程度の因果関係はある。」と判定し、

(5)  甲第一号証(昭和四八年九月四日付労災保険審査官の決定書謄本)は、これを更に一歩進め、「被災者の胃潰瘍は受傷前からあったと推定され、これが受傷入院中に病勢悪化したとみるのが妥当であり、その病勢悪化の原因は①山口医師の不注意から胃の不調の訴えに対し何ら適切な診断治療が行われなかったこと(大量出血の結果から逆推して、受傷時から一年数ヶ月もの長期に亘り終始被災者の診察治療に当った山口医師は、その異常に気付くべきだったと立論している。)、②再手術への不安による精神的負担、③解雇通告による精神的負担、などの条件が考えられるところ、一般に胃潰瘍の発生、増悪に精神的要因が強調されることに鑑み、療養中これらの条件が影響して、病勢が悪化したと推定するのが妥当である」と判定している。

四、前二項(一)に認定の事実に前三項掲記の各鑑定意見と証人山口睦彦の証言とを総合すると、俊夫の胃潰瘍の発生、増悪、死亡は、本件労災事故そのものから直ちにそれが引き起こされたものと認めることは困難であるけれども、本件労災事故以前から潰瘍発生素因を保有していた同人が、本件骨折治療のためギブス固定を受けたことで急性胃拡張症状を起こし、これに引き続き長期のギブス固定に伴う食欲不振、運動不足等によって、数ヶ月に亘り、平常と異る負担と刺戟を胃にもたらしたうえ、一〇月頃からは再手術の不安という精神的ストレスを受けたために潰瘍の発症を促し、そこへ二月初めに受けた解雇の通告と迫りくる再手術の不安のため、そのストレスはますます増大し、ためにこれを急激に悪化させて、吐血死亡にまで至らしめたものと認めるのが相当である。

すなわち(1)前掲乙第二号証には、そもそも外傷性胃潰瘍というものが存在しないと指摘されているとともに、前認定の事実からはトラックからの落下により、直接、間接とも胃部に外的衝撃が加わったことが認められず、また大腿骨骨頸部骨折の傷害自体から胃潰瘍が引き起こされるとは到底考えられない(甲第三、四号証中にはこの点につきやや肯定的指摘も存するが、それはそれに伴う治療行為による身体への影響を介してのことと考えられる。)ので、労災事故そのものから直ちに引き起こされたとは認められないとともに、(2)この時期における俊夫の胃潰瘍の発症、増悪と死亡にまで至った経過を、前掲各鑑定意見と証人山口睦彦の証言とに照らし判断すると、そこに一点の疑義も許されない自然科学的証明度をもって前記の様に結論することはできないにしても、なお自然的経験則からは高度の蓋然性をもって、前記の様に把握し得ることができ、その認定が被告援用の最高裁判所の判決の許容する範囲を逸脱するものとも思えない。

五、すると俊夫の胃潰瘍の発症、増悪、そして死亡の結果は、本件労災事故との関係ではいわゆる事故による傷害治療中の併発余病の問題として、事故との相当因果関係の有無が検討されることとなるが、前記のとおり、本人に胃潰瘍(余病)発症の内在的素因があって、これが骨折治療のための必然的治療行為に随伴して発症したものであり、且つその引き金となったと認められる急性胃拡張の発症は、ギブス固定によってしばしば起こり得る故障であり、またもう一つの、よりはっきりした引き金である再手術の不安による精神的ショックは、それ自体、当初の手術の不全という点で医師の過失の競合が問題となるにせよ、事故による傷害それ自体に起因することであって、そこに他の不可抗力的要因の介在も認められない本件においては、本件事故とその治療中に発症した本件胃潰瘍との間には、単に条件的因果関係に止らず、相当因果関係も認められるものといわなくてはならない。

そして、一旦胃潰瘍の発症を見た場合、本件の如く急激な悪化によって吐血死亡に至ることもまた決して予測できない不可抗力事故ではないと認められるので、次いで死亡の結果も事故と相当因果関係があると認めざるを得ない。この点、解雇通告による精神的ストレスが死亡(急激な増悪)の一因をなしていることも認められるが、それは単に結果に対する競合原因であるに止り、それによって、右事故と死亡の因果関係が中断されるものとは認め難い。

よって、本件労災事故そのものについて民法七一五条による使用者責任を有する(そのことは当事者に争いがない)被告田中は、右責任範囲として俊夫の胃潰瘍の発症、死亡の結果生じた損害についてもこれを賠償すべき義務が存する。

なお、原告らは、解雇通告についても俊夫の死亡との関係で独立した不法行為が成立すると主張し、この点が死亡の一因をなしたことは前記のとおりであるが、被告田中が解雇通告当時、俊夫に胃潰瘍の発症していることを知り又は知り得べかりしであったと認められる証拠はない。従って、被告田中には予見可能性がなかったと認めざるを得ない。

即ち、胃潰瘍に罹患していることを知っていた場合なら、精神的ショックを与えることが、これを益々増悪せしめる可能性のあることは、通常人の予測し得るところと言い得るかも知れない。しかし、そのことを全く知らなかったときには、解雇の通告が通常人に対しても相当の精神的打撃を及ぼすであろうことは、一般的に予測できるところであるが、いかに骨折の傷害治療中であるにしても、その精神的打撃が直ちに胃潰瘍を誘発せしめることまでは、通常人の予見の範囲外にあるものというべきであって、本件解雇通告は、死亡の結果との関係においては、その違法性につき審究するまでもなく、独立した不法行為性を否定せざるを得ないが、後記のとおりこれを慰藉料算定の事由には参酌する。

第二、被告田中の損害賠償責任の範囲

一、俊夫に生じた損害

(一)  財産上の実損害額

(1) 逸失利益 四、二三四、六〇八円

俊夫の月収四二、〇〇〇円であることは当事者間に争いなく、その余の原告らの請求原因六(一)(1)の主張は正当であるから、その主張どおり右の金額となる。

(2) 入院雑費   二八五、〇〇〇円

前認定の入院日数に徴し、一日一、〇〇〇円の原告らの主張は正当である。

(3) 入院附添費  二八五、〇〇〇円

前同様の計算根拠により原告らの主張を正当と認める。

(二)  過失相殺等

(1) 前認定によれば、俊夫においても沢と一緒に作業をしていたのであるから、沢の動静に全く気付かなかったとすればそこに不注意を認めざるを得ない。従って俊夫が飛び降りたこと自体は、急に発車されたため止むを得ないことであったかも分らないが、自動車の発進を全く気付いていなかったとすれば、俊夫も幾分の過失相殺は免れず、損害額の二割を減ずるのが相当である。

原告らは、被告田中が当時沢の解雇に当り沢の一方的過失であると主張したというが、≪証拠省略≫によっても、沢の過失を一方的に誇張した点が認められないではないが、俊夫が無過失だとは記載していないのであって、本訴において俊夫の過失を援用することが禁反言にあたるとは認め難い。

(2) 次に胃潰瘍の発症についても、俊夫に素因的要因の存したと考えられること前認定のとおりであり解雇通告をうけて急激に増悪した点でも、俊夫自身の身体的素因の影響が全くないとは考えられないので、死亡の原因を挙げて本件事故にのみ帰するのは相当でなく、いわゆる素因減額として更に二割を減ずるのが相当である。

なお、被告らは、俊夫の不摂生或は医師に正しく病状を申告しなかったことの過失を主張し、前掲乙第一号証にはこれに副う記載も見られたが、そうきめつけることは充分な資料に基づかない推測の域を出ないことになるので、この観点での過失相殺の主張は採用できない。

(三)  発生した財産上の損害賠償債権額(項目)(実額)(素因減額)(過失相殺)

逸失利益 四、二三四、六〇八円×〇・八×〇・八=二、七一〇、一四九円

入院雑費 二八五、〇〇〇円―――×〇・八=二二八、〇〇〇円

附添費 二八五、〇〇〇円―――×〇・八=二二八、〇〇〇円

の合計三一六万六、一四九円である。

(四)  慰藉料

前二(一)に認定の経過と俊夫が働き盛りの一家の支柱であったこと、死亡に至るまで長期の療養に加え、再手術を控えて不安な状態にあるときに労基法一九条に違反する違法な解雇の通告を受け、その後の生活の不安等に対する精神的ショックとともにストレスを増大させて、胃潰瘍を急激に増悪せしめ死亡にまで至ったこと、しかし、事故そのものについて前記過失も存し、胃潰瘍の発症についても素因が潜在していたものであったこと等を考慮して金三〇〇万円と算定する。

ところで、本件解雇通告については、前記のとおり死亡の結果に対する関係では被告田中にその予見可能性はなく、法律的に独立した不法行為性を認め難いけれども、被告田中は事故につき使用者責任を持つとともに、俊夫の雇主として、本件労災事故についてはその損害不拡大に意を用いるべき立場にあり乍ら、前認定の様に俊夫の症状を医師につき確認せず、主観的にずる休みと決め込んだ結果、労基法違反の解雇をしてしまって、これが被告田中の予見しないところにせよ、死の結果に影響を及ぼしたのであるから、同人に本件事故による死亡の結果についての使用者責任を問う場合、その慰藉料算定事由に右解雇通告の点を、それが違法であったとの評価とともに参酌すべきものとして、前記のとおり算定した。

次に原告らは被告田中が日赤への転院を妨げたことをも慰藉料算定事由に参酌すべき旨の主張をするが、右転院していれば、本件結果の発生が防止し得たとは断定できないところであり、その主張は採用しない。

二、相続

原告本人ひでの供述と記録添付の戸籍謄本により、原告ら主張の相続関係事実が認められるから、原告らは前記俊夫に生じた損害合計六一六万六、一四九円を各自その三分の一に当る二〇五万五、三八三円ずつ相続したものである。

三、原告ら各自の固有慰藉料

前認定の俊夫の療養の経過と、俊夫が一家の支柱であってこれを失ったことによる原告らの苦痛の大なることは察するに余りあるが、事故発生には前記俊夫の過失も一部認められること、俊夫自身の死亡慰藉料を相続することなども考慮して、左のとおり算定する。

原告ひでにつき    一〇〇万円

原告光春、栄子につき 各五〇万円

第三、結び

一、以上の次第であるから、原告らは被告田中に対し、

原告ひでにおいて三〇五万五、三八三円

原告光春、栄子において各二五五万五、三八三円

の損害賠償請求権を取得したるところ、被告会社が右被告田中の債務を重畳的に引受けたことは当事者間に争いがない。

二、ところで、原告ひでが俊夫の死亡を原因として、労働者災害補償保険法に基づく遺族補償年金の支給決定を受け、既に九七五、一〇一円の支払を現実に受けたことは当事者間に争いがない。

すると、前記原告ひでの損害賠償請求権のうち、俊夫の逸失利益の相続分に当る九〇三、三八三円はこれにより補填し尽されたものであるから、同人の本訴請求はこれを控除した二一五万二、〇〇〇円についてのみ認容すべきこととなる。

被告らは、右支給決定に基づき、将来給付分をも全損害から控除すべき旨主張するけれども、その援用の昭和五〇年一〇月二四日最高裁判所第一小法廷判決は、死亡した国家公務員の遺族が、同公務員が将来得べかりし退職手当と退職給付の受給利益の喪失を、同公務員の逸失利益として計上し、これを相続したとして訴求する場合には、右死亡公務員の受給利益と等質性を有するところの公務員の死亡により当然支給される退職手当、遺族年金、公務災害遺族補償金の受給権者については、相続した損害賠償債権額から、その支給決定額を控除すべき旨判示したもので、これにより、労働者災害補償保険法に基づく受給権者の場合将来の給付額を損害額から控除すべきではない旨の昭和四六年一二月二日同裁判所同小法廷の判旨が変更されたものとは解し難いのみならず、右被告ら援用の判決においても、控除することができるのは、支給決定をうけた受給権者のみに限るのであるから、前記原告ひでにつき控除したほかに他の原告につき控除することはできないし、原告ひでについても逸失利益の相続分以外の部分から控除するのは相当でない。

三、よって原告らの請求は、原告ひでにつき金二一五万二、〇〇〇円、原告光春、栄子につき各金二五五万五、三八三円とこれらに対する俊夫の死亡の日の翌日である昭和四六年七月五日より完済まで年五分の遅延損害金の支払を求める各限度において正当として認容すべく、その余は失当として棄却することとして、民訴法八九条、九二条、九三条、一九六条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 潮久郎 裁判官 笠井達也 裁判官仲野旭は転勤のため署名押印することができない。裁判長裁判官 潮久郎)

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